Joe Henry & Lisa Hannigan

Joe Henry(ジョー・ヘンリー)

「アメリカが、いま最も信頼するサウンド・クリエイター」

アメリカ音楽の伝説を次々と復活させる名プロデューサーにして、唯一無二のシンガーソングライター。ジョー・ヘンリーは、近年はプロデューサーとして大活躍しており、アニー・ディフランコやエイミー・マン、エルヴィス・コステロらも手がけつつ、とりわけ ソロモン・バーク、アラン・トゥーサン、ベティ・ラヴェット、ランブリン・ジャック・エリオット、モーズ・アリソンなど、ヴェテランのアーティストに意外な新生面をもたらして再生する見事な手腕でその名を上げた。ジョーのプロデュースは選曲の妙、参加者の力を引き出す雰囲気作り、独特の空気感を持つサウン ドといった点に特徴がある。だが、彼はこれまでに12枚のアルバムを発表してきた素晴らしいシンガー・ソングライターでもあり、彼自身の近作もプロデュー ス作品に負けぬ傑作揃いだ。ジョーは南部のノースキャロライナ州に生まれ、中西部のデトロイト郊外で育った。幼い頃にレイ・チャールズやジョニー・キャッシュを聴いて音楽に興味を持ち、11歳のときにボブ・ディランを初めて聴いて、大きな影響を受ける。14歳からギターを弾き始め、ランディ・ニューマンやトム・ウェイツのソングライ ティングにある演劇的要素に惹かれたという。また、15歳のときに聴いたセロニアス・モンクをきっかけにジャズにも耳を傾けるようになる。

86年にデモ・テープが認められ、デビュー・アルバム『Talk of Heaven』を発表。ニューヨークに引っ越して活動を始める。90年にLAに移住して制作した『シャッフルタウン』のプロデューサー、Tボーン・バネッ トとの出会いが、彼の人生を大きく変える。Tボーンは彼をアシスタントに雇い、プロデュースという仕事に必要な知識を学ぶ機会を与えてくれたのだ。98年 以降、ジョーはプロデューサー業も手がけるようになった。シンガー・ソングライターとしては、90年代前半はジェイホークスを伴奏バンドに起用するなど、オルタナ・カントリー的サウンドだったが、巨匠オーネッ ト・コールマンを客演に迎えて驚かせた01年の『Scar』、ドン・バイロンらをフィーチャーした03年の『タイニー・ヴォイセス』と、次第にジャズの色 調と即興性をとりこむようにもなった。

ジョーの詩的な作品はとても映像的なものだが、常に謎めいたところがあり、聴き手の想像力を大いに刺激する。シンガー・ソングライターに一般的な私小説的 な作品ではなく、あるイメージやキャラクターをもとに書くことが多いという。「目の前に浮かぶアイデアの伝達者なんだ。自己表現というよりも発見だね。そ れらは僕についても表現しているだろうが、それが目標じゃないんだよ」と彼は説明している。ブルーズの影響を意識的にとりこんだ09年の『ブラッド・フロ ム・スターズ』を携えて、10年には初めての来日を果たしている。

最新作は昨年の12作目『レヴァリー』で、ほとんどを本人とピアノ・トリオだけで録音したアコースティック・アルバムだが、自宅の地下スタジオで、窓を開けっ放しにして、外から聞こえてくる様々な音や声も音楽の一部として録音した。音楽の色調はモノトーンに近いが、「白黒だけど、その血管には赤い血が流れ ている」と言うように、彼のアルバムの中でも最も自然発生的な演奏の詰まった作品と言えるだろう  プロデューサーとしての近作には、ボニー・レイットやミシェル・ンデゲオチェロのアルバムなどがある。




Lisa Hanniga(リサ・ハニガン)

「”誰もがリサと恋に落ちる”(アイリッシュ・エグザミナー誌)」

「誰もがリサ・ハニガンと恋に落ちる」という見出しを付けたのは、アイリッシュ・エグザミナー紙だが、実際にその通りのことが起きている。日本では今回の 来日に合わせて発売される『パッセンジャー』で国内デビューとなるが、輸入盤を買って彼女に愛聴している人たちも多いし、ネット上で観られるラジオ局や ネットTVなどでの弾き語り映像の人気が非常に高い。その表情豊かな歌唱はもちろん、松嶋菜々子にも似た美女のアイルランド人らしい飾らない人柄に誰もが みんな夢中になってしまうのだ。

ダブリン生まれ、ミース州育ちのリサ・ハニガンの歌声を多くの人たちが初めて聴いたのは、同じアイルランドのシンガー・ソングライター、ダミアン・ライ スの02年のデビュー・アルバム『0』でのこと。そのアルバムは全世界で計二百万枚という大成功をおさめるが、彼の繊細な音楽に大きく貢献していたのが、 リサ・ハニガンのふわりとした魅惑的な美声で、それはハーモニーをつけるだけでなく、ところどころでリードを歌ったりもして、ダミアンの音楽に不可欠な存 在となっていた。 06年のセカンド・アルバム『9』にも参加したが、07年3月にドイツでのギグの開演直前に突然ダミアンが6年間のパートナーシップの解消をリサに宣告し た。当然彼女は大きなショックを受けたが、それを自分自身の音楽を発表する機会と考え、田舎の寒い納屋に篭って、デビュー・アルバムとなる一連の曲を書き 上げる。それからデモを録音したり、編曲を試したりした数ヶ月の後、リサはバンドとダブリンの友人のスタジオに入り、2週間でデビュー・アルバムを完成さ せた。 『シー・ソウ』は08年9月に彼女自身のレーベルから発売された。ジャケット写真がリサの縫ったパッチワーク・キルトだったように、まさに手作りのアルバ ムだったのである。もちろん多くの人に聴いてほしいという希望はあったが、それほど大きな反響は期待していなかったそうだ。ところが、本人も驚いたこと に、そのアルバムはアイルランドでダブルプラチナの売り上げを記録し、代表的音楽誌「ホット・プレス」の09年の読者投票で、最優秀デビュー・アルバム、 最優秀アイリッシュ・アルバム、最優秀アイリッシュ・トラック、最優秀女性アーティストと4部門をさらう。

そして09年のチョイス・アウォーズにノミネート、メテオ・アウォーズでも最優秀アイリッシュ女性アーティストと最優秀アイリッシュ・アルバムにノミネー トされた。だが、ここまではアイルランド国内の話である。最大の驚きは、09年の英国の権威あるマーキュリー・プライズの最優秀アルバムにノミネートされ たことだった。

それ以降はツアーなどで忙しい日々を送り、英国や米国でも着実に知名度を上げてきたが、その数年の体験をふまえて、「旅」をひとつのテーマにして制作され たのが、セカンド・アルバム『パッセンジャー』である。リサが自分の個性を確立したアルバムとも言える。本人も言っている。「これまでは自分のことをソン グライターと呼ぶのは居心地がよくなかったの。以前は自分を歌手だと思っていたから。でも、今は自分をそう呼んでもいいと思っている」。

ところで、リサはチーフタンズの最新作『ヴォイス・オブ・エイジス』でも1曲歌っているが、09年にそのチーフタンズと一緒にハービー・ハンコックの『イ マジン・プロジェクト』に参加した。ジャズ界の大物ハンコックはリサの歌唱をこんなふうに大絶賛している。「彼女が選ぶ音やフレーズにはすごくたくさんの ジャズがある。彼女は和音の9度や11度を歌っていたよ。つまりね、そういった中の幾つかは、マイルス(・デイヴィス)が選ぶだろう音のように聞こえるん だ」

text by Tadd Igarashi

ツアー詳細はこちらまでです。

カテゴリー: Blog   パーマリンク

コメントは受け付けていません。